260年続いた幕藩体制が倒れ、日本に近代国家が誕生した1868(明治元)年。四国・伊予松山の秋山家に5人目の男児が誕生。名を秋山淳五郎真之と名付けられた。明治維新後、松山藩の財政は底をつき、藩士の生活は困窮を極めていた。とりわけ、大勢の子に養育費がかかる秋山家は悲惨だった。父・久敬(伊東四朗)は生まれた子を「寺へやるしかない」と言うが、兄・信三郎好古が猛反対。そのまま秋山家で養育されることになった。
1874(明治7)年、16歳になった信三郎は日銭を稼ぐ生活に追われていた。秀才で名高い信三郎だが、貧しさゆえに中学に通うことができなかったのだ。淳五郎は6歳になり、近所でも評判のガキ大将となっていた。幼なじみで弱虫の正岡 升(のぼる・後の子規)、その妹でめっぽう気の強い律たちと悪さをしては叱られてばかりだが、好古を慕いあこがれていた。
やがて好古は、学費がかからない師範学校への進学を目指して大阪に旅立った。その後、師範学校を卒業して上京、陸軍士官学校へ入学した好古が松山へ帰省。好古は、自らの仕送りで真之を中学に進学させるよう両親に申し出る。
数年後、松山中学に進んでいた真之(本木雅弘)と升(香川照之)。升は、当時流行りの自由民権運動にかぶれていたが、中学を中退して大学予備門を目指すために上京してしまう。取り残された思いの真之に、再び好古(阿部 寛)が援助の手を差し伸べた。真之は旧旗本の佐久間家に下宿する好古を頼って上京。神田の共立(きょうりゅう)学校に入学する。
ある日、ふたりは英語教師の高橋是清(西田敏行)に誘われ、横浜の外国人居留地に出かけた。そこでイギリスから来た最新鋭の巡洋艦「筑紫」を目の当たりにした真之は、遠い海の向こうの世界へ思いを馳せるのだった。
産業と呼ばれるものは何もなく、農業と糸だけの当時の日本経済の中にあって、西欧諸国になんとしても追いつきたいという今に思えば滑稽なほどの西欧列強の真似をした。
しかしその滑稽さが瞬く間に世界に追いつき日清、日露の両国との戦争に勝利、第1次、第2次世界大戦とつながっていくことになるのである。
当時、長い鎖国から目覚めた日本の位置は、発展途上国と呼ぶ前の状況であったはずである。それを近代日本に変えた当時の日本人たち、畏敬の念を覚えずには入られない。
今の日本を見るに当時と比べようがないが、余りにもすべてが複雑になりすぎて、どこに解決の糸口がるのかさえも、正直分からないといったところであろうか。
事業仕訳で1兆数千億円の予算削減が達成できたとしても、何の解決にも結びつかないと考えるのです。無駄な予算があるということを国民に分からせるという点では、とてもよい刺激とはなったと思います。パフォーマンスとしてはよいのでしょうが、根本的な解決には結びつかないのでしょう。
武士のすべてが失業した明治維新、それほどの変化をわれわれ国民が味わう覚悟がなければ、この先の日本はますます厳しい時代を迎えるような気がします。
どんな時代が来ようともびくともしない強い中小企業経営で、組織を守りぬかねばならないのです。そのためには時として痛みのある治療にも我慢せねばなりませんね。
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