孔子の思想、「論語」にある有名な一節・・・・・
子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
私は十五歳の時に学問に志した。
三十歳にして学が成って世渡りができるようになった。
四十歳で事の道理に通じて迷わなくなった。
五十になると天命の理を知った。
六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。
そして七十歳になると、思いのままにふるまっても道をはずさなくなった
50歳を迎えたが、いまだ迷っているといった感じである。ますます多くの迷いが次から次へと降りかかってくるといった感じだろうか。
毎日が選択の連続である。止まることが許されない中にあって間違っていい選択と決して間違ってはいけない選択とがある。
そこは少しだけわかるようになった気がする。気がするだけかもしれない。これからもいかに謙虚に聴くことができるかが、人生の岐路で大事になってくることは間違いないでしょう。
4月から新たなスタートとして、「お客様の声 収集のお願い」を始めた。
正しい決算と申告をするという基幹業務は永遠に不変である。しかしそれを取り巻く環境は絶えず変化している。したがってお客様の要望も絶え間なく変化している。
その変化を絶えず理解しておくことが最も重要なことではなかろうか。しかもそれは終わりのない活動である。
税理士として10年近い歳月が流れた。多くの方々とたくさんの御縁をいただいたおかげで、今日の自分があるわけです。
私の祖父は45歳でおじいちゃんになった。同じ年なら既に5歳の孫がいることになる。子供のころに思う50歳は、もう人生の大部分を終えた人ではなかろうかと思えた。
中身の濃ゆい人生であろうなかろうが、時間は確実に過ぎていく。50年を振り返っている暇などはないが、残りの人生が50年もあろうはずがない。
40にして惑わずどころか、50にして惑わず、いやいやまだまだ続くのかもしれない・・・。
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子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
私は十五歳の時に学問に志した。
三十歳にして学が成って世渡りができるようになった。
四十歳で事の道理に通じて迷わなくなった。
五十になると天命の理を知った。
六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。
そして七十歳になると、思いのままにふるまっても道をはずさなくなった
50歳を迎えたが、いまだ迷っているといった感じである。ますます多くの迷いが次から次へと降りかかってくるといった感じだろうか。
毎日が選択の連続である。止まることが許されない中にあって間違っていい選択と決して間違ってはいけない選択とがある。
そこは少しだけわかるようになった気がする。気がするだけかもしれない。これからもいかに謙虚に聴くことができるかが、人生の岐路で大事になってくることは間違いないでしょう。
4月から新たなスタートとして、「お客様の声 収集のお願い」を始めた。
正しい決算と申告をするという基幹業務は永遠に不変である。しかしそれを取り巻く環境は絶えず変化している。したがってお客様の要望も絶え間なく変化している。
その変化を絶えず理解しておくことが最も重要なことではなかろうか。しかもそれは終わりのない活動である。
税理士として10年近い歳月が流れた。多くの方々とたくさんの御縁をいただいたおかげで、今日の自分があるわけです。
私の祖父は45歳でおじいちゃんになった。同じ年なら既に5歳の孫がいることになる。子供のころに思う50歳は、もう人生の大部分を終えた人ではなかろうかと思えた。
中身の濃ゆい人生であろうなかろうが、時間は確実に過ぎていく。50年を振り返っている暇などはないが、残りの人生が50年もあろうはずがない。
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50才ですか・・。
一応、現代の解釈では初老ではないようなので安心してください。^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%80%81
天命みつかりましたか?
コメントありがとうございます。
充実した50代を過ごすためにも、ぶれない自分というものをしっかりと日々確認しながら行動して行きます。
今後ともご指導よろしくお願いします。