


そうですね。ど田舎で育ちましたした(笑)。
360度見渡す限りの山々、足元を流れる小川のせせらぎがあるような。
たった13戸の山村集落でした。私は大分県玖珠町のそんな環境のなか長男として生まれました。 小学~中学までの9年間は気の知れた仲間と寝食を共にする生活を送りました。
児童会長、生徒会長そして卓球部の主将として気がつけば常に人をまとめる立場で、日々楽しい毎日を送る少年時代でしたね。
実家が兼業農家であり、収穫の季節には家の手伝いを(いやいや)させられていました。 稲作に加えてシイタケも栽培してましたね。
春秋のシイタケの収穫シーズンは雨の降る日がとてもいやだった記憶があります。
高校時代は書店のアルバイトで生活費をねん出しながら、下宿生活で青春を謳歌しました。(笑)。夜遊びをしても疲れを知らない当時は、気力、体力が有り余っていた時代でしたね。
アルバイトも結構やりました。そこでビジネスの基本を学び、よく考えると、どうすればお客様に喜んでもらえるのかということを当時も常に考えていたような気がします。根っからのサービスマンなのかもしれませんね。
高校卒業後、税務署の試験に合格、税務の仕事に就くこととなりました。税務職員になるきっかけは、同じ下宿に税務署の方がいたことでその影響を受けたからなのですが、これが現在の自分の立ち位置になるとは当時考えもしませんでした。人の御縁とは本当に不思議なものです。 社会人となり、大阪での6年間の(第二の??)青春時代をすごした後、縁あって結婚。男二人、女二人の4人の子供に恵まれました。現在、2人の子供は既に自宅を離れ社会人、学生としての生活を送っています。 あと8年すれば、夫婦と3匹の犬だけとなってしまいます(涙)。
実は出身地は大分県玖珠町で、隣町である日田市には開業当時はほとんど御縁がありませんでした。
税務署を退職する際、先輩から誘われるように税理士事務所を開業したのがここ日田との御縁の始まりです。 誰一人知り合いの方がいない土地での税理士スタートでありましたが、今は多くの皆さんと御縁をいただき、日田の地に根を下ろすことができたことを何よりもうれしく思っております。 また、生家まで車で30分の距離が、心の余裕にもつながった感じがしますね。
日田は江戸時代の天領の名残があります。あまり知られてはいませんが、江戸時代最大の私塾、咸宜園など政治文化の中心として栄えた町なんですよ。 その歴史と文化の中で生活を送れることに誇りを感じながら、さらに日田を栄えあるものにしなくてはとの思いは強く持っています。
盆地特有の寒暖の差は、時に朝霧の神秘的な景色を醸し出し、時に自然の厳しさを教えてくれます。
とっても暑い夏と寒い冬がありますが住めば都です。(笑)
23年間税務署職員として過ごしました。転勤が多く、北は東京、南は奄美大島までの23年間で12回の転勤を経験しました。その中でも特に思い出深いのは奄美大島に勤務した2年間です。
「どうして自分が島に行かなくてはいけないのか?」と泣きたい気持ちで船に乗り込んだ記憶があります。ところがいざ生活をしてみると、山育ちの私にとって透き通るように青い海、人情味豊かな土地柄はまさに楽園でした。
2年間の離島生活終え、離島する際には「もう少しいてもいいな」と思うほど素晴らしい場所でした。
その後の5年間の国税局勤務は、今の仕事をする上で何事にも代え難い経験をさせていただきました。
とても厳しい仕事環境でしたが、この5年間で勉強させていただきましたね。多くの先輩、同僚が私自身を大きく、そして強くしてくれました。今の私を支えている根幹をつくった5年間といっていいですね。
独立前は先輩の事務所に3年半お世話になりましたが、自分の力を試したくなる気持ちを抑えられずに独立してしまいました。開業してから現在まで、無我夢中の5年間ですね。
一人でやってみて初めてわかることも多く、とにかく「やり方がまずい」と思えばその「仕組みを改善する」ことの繰り返しで事務処理の精度を上げてきました。
事務所の運営はすべて自分自身が責任を負う必要があり、厳しさはあるもののやりがいもあります。
そのなかで、スタッフと家族に支えられて初めてやり切れるものだとつくづく実感しています。
今まで悩みがないと言えばうそになりますが、その悩みをいつまでも引きずることなく、考え、行動を起こすことにより、前向きに変化するよう心がけていますね。 そして何よりの財産は、多くの経営者の皆さんと関われること。経営者の皆さんに自分自身をより大きくしていただいています。
とにかくお客様の話を聴くことです。
そしてフットワーク、対応の早さをでお客様との信頼関係を深めています。地域密着でやっていくにはこれなくして生き残りはないと考えています。
経営者は事業を始めた時の【思い】や【理念】を時の経過とともに忘れてしまいがちですよね。
時として自分本位の考えで事業を進めた結果、気がつけば倒産というケースを数多く見てきました。
では、なぜ倒産するのだろう?運が悪いだけなのか?関わった企業様に対して何とかお役に立ちたいと考えだした結論が経営計画を中心とした経営サポートサービスでした。
経営が悪化した企業を改めて分析してみると、そこには必ず【原因】があり、その【原因】の多くは【経営者】によるものでした。そこを何とかしたい!と。それが経営サポートサービスです。
経営計画に関してお話しすると、中小企業企業の場合、私は、【単年度計画】が基本だと思います。
ただ、【単年度計画】を作る際、その年度だけを見るのか、先を見て計画を作るのかでは、大きな違いがあります。その点を考慮して弊社ではまず最初に【単年度計画】を組み立て、それを5年間の中期計画に引き延ばします。
特に【借入金返済の年度別減少額】【リース負債の減少額】【減価償却費の減少額】は、2年目以降の計画に必ず影響が出る部分です。
経営計画から、とにかく現預金の残高推移を確認していただく。
まずはこれだけで十分ではないかと考えています。弊社では、経営計画を【絵に描いた餅】で終わらせないために、経営者様と【単年度計画】をしっかりと作成し、その【方向性】を検証するために【中期計画】も一緒に立案するようにしています。
そして、ポイントは【単年度計画】は必ず達成するために作られたということを全社員で共有することです。
そのためには、達成管理も含め継続することが大変重要な要素となります。
顧客密着の会計人の強みが出るところです。
なんせ月次で訪問しますのでしっかりと達成状況に関して経営者様と話をすることができますから。最初から計画通りにいくような企業はありませんしね。結果も大事ですがプロセスの方がもっと大事だと思います。
今までに経営者様が作成に踏み切ったしたケースをいくつかあげると・・・。
①中期計画セミナーなどの参加されて計画の重要性に理解を示されて作成。
②金融機関からの要請により作成。
⇒このケースは資金繰りに窮している場合が多く、そのためだけの計画書を作成することに注力が注がれているパターンがほとんどですね。経営者は計画の必要性の意識が低いため、支援側もあまりテンションは上がりませんね(笑)。
③融資目的の計画書作成
⇒これも資金繰り系ですが、前向きな設備投資で資金を調達するケースです。きちんとしたシュミレーションを行うことはとても大事なことです。思いつき先行型の経営者は結構いますので・・・。
④経営者が最初から経営計画作成の重要性を認識しているケース
⇒これは優良企業の経営者に多いパターンですね。このパターンの経営者様とご縁をいただきたいですね。またそうでない経営者様にはこのパターンを理解していただくよう働きかけています。
弊社では銀行などの金融機関にも導入されている、本格的なシュミレーションソフトを導入しています。
経営者が意志決定するためには、意志決定の結果を瞬時に提示する必要があります。
経営者様には意志決定にのみ集中していただきたいのです。これにはやはり専門的なツールがどうしても必要ですね。とっても高いんですが(笑)。
とにかく経営者様に短時間で、経営イメージを持っていただき意志決定をしていただくことが何より大事だと思っています。
実際には計画書を作成するといってもその背景には様々な場面(シーン)が内含していて、まさにドラマをみるようです。こちらから経営計画の重要性を訴えて作成する場合もあれば、計画書を作らなければならない緊急性により作成する場合などさまざまですね。
経営計画は経営者様によって、その用途・目的も多岐にわたりますが、基本的には計画を作るということはそこに【夢】があり【目標】があるわけです。
私達の役割は、夢や目標を明確にしてさしあげることだと思っています。夢や目標のある方々と経営計画作成支援を通じてどんどん関わっていきたいですね。それが会計に携わるものとしての誇りであり、いっしょに達成感を共有する喜びが会計人である私の最高の幸せです。
ありますよ(笑)。65才で会計事務所の所長引退。その後は経営者サロンを経営します。
生家で温泉が出たんですよ。そこを改築して経営者サロン的な場所にする構想があります。嫁さんには言っていません(笑)。
65才くらいになると今のように動き回ることはできないなと。その時自分は何ができるのだろうかと考えていたときに、唐突に脳裏に浮かんだのが、ふるさとの山々や小川のせせらぎ、のどかな田園風景、車の音もしない鳥のさえずりだけが響き渡る自然の中での暮らしです。
その年齢まで生きていれば(笑)おそらくどんなに世の中が変わろうとも変わらないもの、変えてはならないものがわかる年になっているでしょう。大自然の中でいろんな人々をお迎えして、すこしはおもしろい話し相手になれるのではないかなと。(笑)。ゆっくりとした時間の中で会話をすることにより、お客様のお役に立てることがあるのじゃないかとふと考えました。顔を見合わせ、世間話だけで、温泉に浸っていただき、田舎の食事を食べてもらえるだけでも喜んでもらえる。そんなご縁をいただければと考えています。 なにより、生涯にわたって笑顔を提供し続けることを必ずやっていきたいですね。 何を通じて供給するかはその時々でさまざまでしょうが、変えようのないもの(サービス)から供給していけたら最高でしょうね。
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